Biography
アメリカ人ギタリスト、グレッグ・チャコは、2003年に上海にて、ディーディー・マクニール(ヴォーカル)、ジャック・ホーランド(ピアノ)、ドナルド・ジャクソン(ベース)との共演による定期的なジャズ演奏で成功を収めた後、結婚して3年になる日本人の妻と新しい生活を始める為に、日本に活動拠点を移した。けれども来日後まもなくして、最愛の妻が末期ガンであることが判明し、その後の1年余りは看病などの為、音楽活動から遠のくこととなったが、2004年の妻の逝去後、少しづつ活動を再開し始めた。


2005年、2006年と続けて彼はCDを発表したが、2005年の初めての2枚組CD, "Where We Find Ourselves" は、全て彼のオリジナル曲で構成され、亡くなった彼の妻に捧げる為に作られた。安定したスィング感に溢れたホーンアンサンブルと、生き生きとしてバラエティに富むアレンジが特に象徴的であるが、加えて、ラテン、ワールドミュージックのエッセンスも感じ取ることが出来る。また、このCDには、彼自ら作詞した曲も収録されているが、それは彼の演奏と同様に、趣深く、情緒溢れる曲になっている。
その後に発表した7枚目のCD,"Two's Company, Three's a Crowd"は、ギター&ピアノまたギター&ヴォーカルのデュエットにより構成され、カバー曲や、ライブ演奏も含まれている。現在、東京を拠点として幅広く活動を続けている彼の充実したパフォーマンスを感じ取る事が出来る。また彼は現在、次々と作品を生み出し、2007年から2008年に予定されている新しいCDのレコーディングに備えて準備を進めている。
 
1994年から2001年まで彼はトロピカルアイランドであるシンガポールにて音楽活動を行っていたが、その間、4枚のCDをリリースした。(1996年 "Sudden Impact", 1998年 "Live at Raffles", 2000年 "Integration", 2001年 "Integration II") また6本のビデオ、ドキュメンタリームービーを発表し、テレビ出演や大規模なジャズフェルティバル等への参加を行った。
グレッグ・チャコトリオ(グレッグ・チャコ:ギター、レッド・ホルト:ドラムス、ベリンダ・ムーディー:ベース) による定期的な演奏を1994年3月に始め、その後、メンバーをジーン・ドゥショーン(ヴォーカル)、ビクター・ガスキン(ベース)と改め、結果的に、有名なラッフルズ・ホテルにて7年にも及ぶ長期の定期的な演奏を行うこととなった。
 
その間、彼はエンターテイメント会社を設立し、ジャズを始めあらゆる種類の公私の団体によるパーティーのオーガナイザーとして活躍したが、代表的なものとして、文化芸術庁、ワールド・グルメ・サミット、アメリカン・アソシエーション、シンガポール航空、リッツ・カールトンホテル、フォーシーズンズホテル、ウェスティンホテル、ザ・オリエンタルホテル、US海軍省、などが挙げられる。 彼がシンガポールにて頂点を極めたのは、ソウル&ジャズシンガーであるココ・ヨーク、ピアニストのマイケル・スタントンとの3週間の共演と、その後、クアラルンプールで開催されたハイネケン・ジャズ・フェスティバルでの彼の7人編成のバンド "Integration"による演奏で、大成功を収めた頃である。
 

グレッグ・チャコは、1958年米国オハイオ州シンシナティに生まれ、彼が最初に音楽に触れるきっかけとなったのが、9歳の時のアコーディオンレッスンであった。然しながら、ジミ・ヘンドリクスが彼のヒーローとなるや否やギターに興味を持ち始め、1年間のレッスンの後、アメリカン・ギルド・オブ・ミュージック・コンテストに出場し、1000人もの応募者の中で2位を受賞することとなり、また更に翌年、地元のコンテストでは1位を受賞した。 その後、バークリー音楽院にて奨学金を受けながら学び、トップ・アーティスト(ジュニア・クック、ビル・ハードマン、オセロ・モリノー、ジョニ-・リトル、ボビー・ワトソン、ハーブ・エリス、ジミ-ラニー等)と共演する経験を得た。またその頃、非営利組織のジャズ・ソサエティを結成し、実践で、プロモーターやオーガナイザーとしての経験を積み、スライド・ハンプトンを招いて野外のジャズ・フェスティバルを開催した。ジャズを広めたい彼の熱心さが共感を生み、マサチューセッツ州の芸術協会から共催金を獲得することにも成功した。

 

彼はどのような時でも、音楽特にジャズを愛してきたが、1992年にアジアに居を移す以前は、音楽活動を活発に行うことはなかった。80年代には、一旦ギターから数年遠ざかり、ニューヨークにて工業地域の不動産を扱うビジネスにたずさわることもあったが、結局、ギターの魅力を忘れられず、またオフィス・ワークの中でアーティスティックな表現が出来ないもどかしさに耐えかね、趣味としてギターを始めることとした。けれども、結局毎日真剣に数時間練習することになり、結果的に、複雑であるけれども印象的なソロアレンジメントを作り上げることとなった。 だが、この前向きな行動も1990年、彼が手根管症候群(手首の神経に生じる病気)と診断されると、再度、全ての創作活動を諦めなければならなくなった。その痛みと戦いながら、少しづつギターを弾き始めたときに、ピックを使わずに親指で弦をはじくと、暖かく深い、よく響くサウンドが出ることを発見し、その日以来現在に至るまで、彼はそのスタイルを貫いている。


1992年にグレッグ・チャコが香港に移ったとき、手首の痛みも治まりつつあり、プロフェッショナルなミュージシャンとしての活動を再開することとなった。彼は、ブロードウェイ・ミュージカルである、ウエストサイド・ストーリーの香港公演、ホンコン・フィルハーモニーとの共演などで名前を広めた。その後、有名なカーティス・フュラーやリッチー・コールとも共演し、そして1994年に彼の初めてのCD"Everything I Love"を発表することとなった。

 
彼の山あり谷ありの人生は、彼の音楽に刺激や深みを与えてきた。1992年に音楽から遠ざかった時以来、妻の看病の日々以外は、一度も音楽を諦めることなく、最近発表したCDに加えて、今後のCDリリースに対するファンからの期待を受けながら、彼は永遠に成長し、教師としても活躍し、曲を創り、プロモーションを行い、レコーディングし、そしてジャズの演奏をし続けていくに違いない。
 
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